カンバーランド長老キリスト教会


教 会

     横浜市旭区鶴ヶ峰本町
     1-19-21
    ミヤビビル一階
 鶴ケ峰本町ブックオフ裏手
   TEL 045-489-3720 

             
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2020.1.19更新
    

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「洗礼という神秘」            No.618
         (マタイによる福音書3章13〜17節)

                    荒瀬牧彦牧師

 主イエスが洗礼を受けた時に何が起こったか。三つのことが福音書に記されている。すなわち、イエスが水の中からあがると、「天がイエスに向かって開いた」。そして、「神の霊が鳩のようにご自分の上に下って来るのをご覧になった」。天から、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との声が聞こえた――これは、イエス様がヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に、天からの啓示として起こった出来事である。しかし、これは我々にとっても大変重要な箇所なのだ。なぜなら、キリストにつながれた者にとっては、イエスの授けられた洗礼の恵みが自分のものとなるからである。

 「あなたは何者なのか」と問われたら、どう答えるのか。自分の真のID(身分・正体)は、洗礼から考えなければならない。

 パウロは言った。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。・・・わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配されたからだが滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています」(ローマ8章)。

 あなたは何者か?そう問われて、「罪の奴隷です」と答えなければならない者であった自分に、洗礼において、新しいIDが与えられた(与えられる)。あなたの上で天が開き、あなたに聖霊の鳩が降下し、<あなたはわたしの愛する子>という天からの宣言が響いた(響く)。古いアダムとしての自分が水に沈められ、水の中からキリストにある新しい命をもった神の子としての自分が生まれた(生まれる)。

 「洗礼において、神は私たちを神御自身のものと宣言し、ご自分の民として、恵みの契約の相続者として、しるしをつけられます。洗礼は、罪の赦し、キリストへの接ぎ木、聖霊の注ぎ、そして死と新しい命への復活を象徴します。」(カンバーランド長老教会信仰告白)

 洗礼は神秘だ。我々が自分で理解しているよりもずっと奥深い恵みなのだ。神に「私の愛する子」と呼ばれた神の子たちよ、罪の奴隷という古いIDに逆戻りしてはいけない。いつも洗礼に立ち帰れ。         


「神の子キリストとして」         No.617
          (ルカによる福音書2章41〜52節)


 この箇所において、迷子になった少年イエスをマリアは叱ります。しかしそれに対するイエス様の回答は「何故捜していたのですか、私は父の家にいるのは当然ですよ」というものでした。本来なら必死で捜していた親ですから「その言い方は何ですか」と叱ってもいいところでしょう。しかしマリアは、そのイエス様の言葉の意図は理解できませんでしたが「これらのことすべてを心に納めた」とその心情が記されています。この出来事は、他者から見るとむしろ少年イエスの行動がおかしいように感じますが、マリアはその受け止め方が違ったことに注目したいと思います。このマリアの反応に似たような出来事として、同じ福音書の1章38節があります。天使から幼子イエスを授かるというお告げを受けて、戸惑いながらもマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」と言われたことです。つまり、他の人達は理解できなくても、マリアは少年イエスが神の告知によって生まれて来た特別な存在、神の子メシアであることをマリアは身を持って知っていたからなのです。だから、人間の親としては感情的に叱ってしまったが、イエス様の回答を聞いて、あの日の天使のお告げを明確に思い起こしたことでしょう。

 私たちの人生は、この世の諸悪に翻弄される日々です。クリスチャンでありながら、神を知らないような自己判断しか出来ないことが本当に多い。マリアのように「なんでこんことを」と日々怒鳴りたくなります。しかし、その時に、神のお告げが、聖書の言葉が、私たちを立ち返らしてくださるのです。神のお告げを心に全てとめること、どんな出来事の前でも、お言葉どおりになりますようにと信仰を持って進むこと。「お言葉どおりに」とは神が私たちの人生に最善をなしてくださるという信頼です。悪魔の力を覆す神が、私たちの人生と同伴されていること。必ず道を開いて下さること。罪あるものが罪なき者として赦しを得て天に凱旋できる約束を頂いていること。そのことを「すべて心に納めて」天から力を頂くこと。ここに毎回立ち返る。毎週立ち返ること。これが信仰者の力なのだと思います。

 今年の教会主題聖句「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩」(イザヤ2:4)は素晴らしいですね。信じてみんなでこの道を進みたいと願わされます。



「シメオンとアンナの降誕祭」       No.616
          (ルカによる福音書2章25〜38節)
          (イザヤ書42章1〜7節)

                   荒瀬牧彦牧師

 
シメオンもアンナも高齢であったが、エルサレム神殿で幼子イエスを見出し、祝福するという大切な役割を果たした。高齢だったがというより、高齢だからこそ役割を果たせたというべきだろう。長い人生の歩みを要する役割があるのだ。神がそれをお用いになる。

 アンナはその人生において、多くのことを為し得たというわけではない。ずっと神殿にいたのだから。でも彼女は一事に徹するということの美しさを見せてくれた。自分の役割として与えられた本当に大切な一つの事に打ち込み、その的を射たのだ。恵まれた豊かな人生である。シメオンもそうだ。死ぬに死ねない老後を過ごしていたようにも見える。しかし、神はきっちり約束を果たしてくださった。彼しかできない役割を果たした。空振りの人生ではなかった。

 その人生の大きな秘訣は聖霊である。聖霊の導きがあればこそ待ち続け、幼子が神殿に連れてこられた時も見逃さなかった。自分の力ではない。聖霊の導きに心開き、聖霊に従う。そこに空振りの人生はない。人を振り回したり、人に振り回されて生きると的を外す。聖霊に身を委ねて、神に導いて頂く者にとって「虚しかった」という人生はない。

 「主よ、今こそあなたは、おことばどおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」ヌンク・ディミティス(シメオンの賛歌)を我々も歌おう。修道院の聖務日課では終課、夕の祈りで歌われてきた就寝前の歌だ。それは人生の最後において、死の眠りにつく時に我々が歌える賛美だということでもある。「今こそ安らかに去ります」と歌って死ねる人生は幸いだ。しかし、シメオンが預言したことばをふまえると、これはそれ以上の意味を持っている。シメオン退場の歌であると同時に、キリストの福音の始まりの歌なのだ。「今安らかに去ります」は、今日わたしたちが、「シャローム(平和)のうちに出かけていく」、新しい生き方へと平和のうちに出立するのである。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」という今の日本を覆う風潮は、今年いよいよ深刻になったようだ。「今だけ、金だけ、自分だけ」の生き方は、未来の世代からの資産強奪であり、先に待つのは滅びだけだ。他方、アフガニスタンの砂漠に用水路を敷き、緑の沃地にした中村哲さんのような生き方があることも我々は見た。シメオンの歌を歌いながら新しい年に進もう。    

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